館長さんとはいろいろ世間話しをしなからも、聞きたい事の大切な一つがこれだ。


話せば長くなるが、この陶器の破片は熊野古道馬越峠の道中で私の娘が中学校一年生の時に自由研究?でと一緒に歩いた時に拾ったのだ。

もう早20年近く月日が経っているな。破片を見つけボクはアッ危ない物だなとゴミ感覚で拾ったらなんか凄い厚さだな!と思い海山郷土資料館に持って行ったら、こう断定してくれたのだった。

こう断定してくれた先生には申し訳ないと思いつつ館長さんに見てもらったら、間違いないです!と断定してくれた。感動!!。そう、江戸時代中期と言うところ。江戸時代中期なら、年代的に伊万里の陶器商人の善太郎らが歩いた時には既に足元にこの古伊万里焼きが落ちていたと考えると、なんか全てに導きを感じてしまうボクだ。破片にやっぱり善太郎と会っていたんだね!と語りかけていたか(笑)。
そして、館長さんから意外な質問が。これを拾った場所に釜焼きは無いですか?と。なるほど、伊万里の人には釜焼きは普通であり、江戸時代の古伊万里焼きもまあ身近なものなんだろうなと。釜焼きは無いですが、茶屋のある場所では割れて使えなくなると捨てていたのか?茶屋跡周りでは落ちているようですが、ボクが拾った場所は道すがら何も無い場所ですので、ボクの推測は当てになりませんが、デカい石畳の石がある場所なので陶器商人が背負い運んでいて滑るデカい石でコケて割ってしまい頭きてぶん投げたのではないか?と伝え二人して笑ったな(笑)。

そう、熊野古道と言うのもパッと理解できない気持ちであったのだと思うと、新鮮な目線であるな!と嬉しい気持ちになるボクだった。遠く離れた山の中の道端で落ちていたと言う事実。もちろん、熊野古道がどう言うものかを説明するために、熊野古道センターの宮本さんに相談し、パンフレットを持って来ていたので、パンフレットは渡したね。
そして、今回の核心は、善太郎の道中日記を熊野古道伊勢路の魅力づくりにの利用は可能か?と言う部分。館長さんの答えは!、イエース!!だった。○○と○○を守ってもらえるならとの条件でなら大丈夫だと思いますと。これでボクには道筋ができた気分だったが、著作は既に亡くなってしまっていると。うん、悲しくなる。まあこのような部分は資料としていただいた三重大の先生に図るべきかな、館長さんの気持ちだけで今は充分だと考え直したボクだった。余談ではあるが明治時代ではあるが、館長さんは善太郎の子孫と思われる人の名前を探していてくれていた。前川善○さんと。嬉しい、善太郎の一文字を使っているんだなと。
そして、ボクの緊張の糸が切れた。もう帰ろう!やりきった!と。若宮神社の善太郎の石灯篭に出会え、破片の年代に間違いない事が証明され、熊野古道伊勢路に利用できる可能性があるのもわかり、さらに想定外の善太郎の鳥居にまで出会えた。頑張った!やりきったな!と。和歌山にでも居る気分さえしてくる、いやいや、遠い遠い所にボクは居るのだ、もう帰ろう!慌てず安全に帰らなくては!と三重県が恋しくなっていたか。
つづく〜( ´ ▽ ` )
by理事長